とりあえず、今日も生きている。

引きニート歴5+8年、病歴(自律神経失調症)15年、アラフォー女性の独り言です。

回想・・・

こんにちは。mozuです。

世間一般的に言われている『引きこもりニート』の定義では年齢が34歳までということになっているようですが、
それではアラフォーである自分は一体どこに所属しているといえるのでしょうか。。

 

ただでさえ社会のどこにも所属できていないことが情けなくて辛いところなんですけど、引きニートのカテゴリーにさえ入れてもらえないとなると、
この世の中に自分の居場所ってほんとうにないんだなぁ、、と思ってしまいます。

 

とりあえず、両親に生活させてもらっている今居る家が居場所ということにはなるんでしょうけど、正直私はここが自分の居場所だと思ったことはないんですよね。
家族に対しては、いつも申し訳なくて後ろめたくて、、情けない気持ちでいっぱいです。
そう感じながらも、母親にはときどき当たってしまうんですけど。。

 

母親は私の病状をずっと見てきているので、私がニートでいることを仕方ない部分もあると思っているようです。もちろん母の悩みの種なのは間違いありません。
父親にはこの件では何度も罵られ、責め立てられてきました。私の状況をちゃんと説明して理解してもらっていないので当然の話なのですが…。

 

幼少の頃から私(姉妹も)と父親との仲は決して良いものではありませんでした。

「俺の考えが全て正しくて、間違っていて悪いのは全てお前たちだ。誰に食わせてもらっているんだ。
養ってやっているんだから、俺の言うことに黙って従え。してやってるんだから、素直に喜べ。感謝しろ。敬え。」
……父親はそういった自己中心的なものの考え方をする人でした。

 

こちらから話しかけても父親の気が乗らなければ無視をされます。邪魔だ、あっち行けと追い払われます。
とにかくクチが悪く、気に入らなければ平気で口汚く罵ります。それは聞いていて胸が悪くなるような乱暴な言葉の使い方でした。
それから、何かを教えてもらったという記憶がありません。例えば学校の宿題を教えてもらったことはありませんでしたし、
アウトドアの好きな父によく付き合わされたスキーや、水泳も教わったことがありませんでした。見て自分で勝手に覚えろ、ということでした。
また、ほんのさっきまで楽しそうに話をしていたかと思えば、急に態度が豹変して不機嫌になって無視をされたり嫌味を言われたり。。
家族で出かけるときも、母や私たち姉妹の意見は通りません。父親が決めた場所で父親が望むことをしに行くだけです。万事がこのようでした。
煙たがる子供の前で平気で煙草を吸ったり、パンツ一丁で部屋をウロウロ、おならやゲップもし放題、デリカシーのかけらもありません…。

 

でも、それらはほんの些末なことでしかありませんでした。
私たち家族がもっとも恐れていたことは、父親がお酒に酔っ払って帰宅することでした。
会社の飲み会などで飲んで帰ると分かっている日は、母親の顔色は青ざめていて、そわそわして落ち着きがありません。
そろそろ父が帰って来る頃になると母は決まって、子供はさっさと寝なさい!と言って寝室に追い立てるのでした。
私たち姉妹は寝室で(と、いっても襖一枚で隔てただけの部屋で、全部丸聞こえ・・)早く寝なきゃ…!!と焦りながら狸寝入りをしている訳ですが、、
こんな状況で寝れる訳ないじゃんんんんんん!!…といった感じで、毎回たっぷり恐怖を味わっていました。

 

ベロンベロンに酔った父親がいよいよ帰って来ると緊張はピークに達します!
父親は必ず母親に絡んでいました。まず汚い言葉で罵り始めます。ここにはとても書けないようなほんとうに汚い言葉なんです。
それをネチネチと延々繰り返しながら、でもだんだん少しずつエスカレートしていくんですね。
突然声を荒げたり、物が飛ぶ音も聞こえましたし、母親に掴みかかっているような、もみ合っているような気配も感じました。
急に思い出したように、「子供らはどうした!?」と言って襖をパーンと開けられることもありました。私たちは息を殺して寝たふりをします。
母親は「もう寝ているから頼むから起こさないで。」と、いつも私たちを守っていました。

 

そのうち父親は悪態を付きながらも、いよいよ眠気に負けて眠り始めます。私たち家族がやっと安堵できる時でした。
ただ、父のいびきは酷く、聞いていると気分が悪くなってくるほどの雑音でしたから、とても寝れたものじゃなかったです。
当然翌日はみんなで寝不足に…。父親も二日酔いで不機嫌です。午前中はずっと横になっていることもありました。

 

お酒が得意でないのに飲んで飲まれるタイプですからタチが悪いです。
会社の付き合いなどで仕方ない部分もあるのだとは思いますが、それでももう少し家族の気持ちも考えて欲しかったです。。
もっとも、父は酔っている時のことはほとんど覚えていないようでした。ほんとう、タチが悪いんですよね…(苦笑)

 

父親がそんな風でしたので、母と私たち姉妹は父に自分から積極的に話しかけたり、物事を相談をする、ということがなくなりました。
なるべく機嫌を損ねないよう、いつも顔色をうかがって生活するようになっていきました。

 

なので、例えば進路のことなども母と私たちとで勝手に決定して、父親の機嫌の良い時を見計らって結果報告する、という形を取っていました。
突然聞かされる父親は、なぜ自分に一言の相談もなく決定するのだ…!?と怒り出します。
普通に考えれば当然のことですよね。でも、私たちが長年の経験で身に付けた自衛手段がこれだったのです。ほんとうにとてもおかしいとは思うのですが。。

 

父親は私たちの結果報告に切れることもあれば、逆にあっさりと受け入れることもありました。
それは、その時の気分で決まるようでもありました。私たちはどちらになるのかいつも見当も付きませんでしたので、ハラハラしながら報告していました。
切れさせてしまえば、罵詈雑言の数々を浴びせられ怖い思いをさせられますし、受け入れられれば何事もなかったかのように平和に話ができます。
天国か地獄か…。普通に会話できることが天国…だなんてほんとうに変だなぁ、と思いますけど。

 

ところで、私はニート歴が5+8年なのですが、何故13年と表記しないかといえば、その間一度半年間だけ働いているからなんです。
私が20代半ばでニートになってしまった時、父親からは「仕事を探せ。とにかく働け。働かざる者食うべからず。」と散々言われていました。当たり前ですね。

 

私も何とか職を見付けようと焦ってはいました。でも、ただの言い訳なんですけど、その頃心身の不調がピークに達して思うように動けなくなってしまったんです。
自分の人生で一番辛い時期でした。暗い部屋で一日中横になって、泣きながら天井の板の数を数え続けていました。
まばたきすることや、息をすること、指を動かすことさえしんどくて。。泣いてばかりいました。そのうち、布団の中にこっそりネクタイを忍ばせるようになっていました。
使用目的はですね…なんとなく想像いただけると思うので敢えて書くことはしませんが、それほどまでに追い詰められていました。

 

私がそのような状態になっても、母親は父親への説明を避けていました。説明のしようがない、説得できる自信がない、理解してもらえると思えない、とのことでした。
今まで父親との積極的な交流を避けてきたんですから当然です。それに、医師からは自律神経失調症だと言われるだけで、まともな治療を受けていない状態でもありました。
もちろんドクターショッピングはしていましたが、自分に合う医者に巡り会うどころかまともに取り合ってもらえなかったり、ドクハラに遭って医者を信用できなくなっていました。
なので、父親にたいしてこれこれこうゆう病気で、こうゆう診断を受けて、こうゆう治療を受けているところだから…と、筋道立てて説明することもできなかったんです。

 

かなり危うくてもろい均衡を保った生活を送っていました。いつ嵐が来てもおかしくない状態が続いていました。
私たちは毎日緊張の連続の中に居て、生きている心地がしませんでした。あの頃はほんとうに世界が灰色に見えてくる程でした。

 

そして、ついに嵐が訪れました。父親が酔って帰ってきて大暴れしてしまったんです。
その日姉妹は彼氏と遊びに出かけていて、この日の惨状を目撃せずに済みました。ほんとうにそれだけが救いでした。
母と私は恐怖の一晩を過ごしました。これを書いてる今思い出しても辛くて長い夜でした。
辛すぎて詳しくは書けませんけど、最終的に父親は自分が死ぬ、と言い出したんです。ベロベロに酔ったまま家を出て行こうとしたんです。
私たちは大暴れする父に泣きながら謝ってすがりついて必死に止めました。ただ、止めながらも私の心は複雑でした。。ほんとうはどうしたかったのか、自分でもよく分かりません。

 

結局この件は、母親が父親に謝罪することでなんとか収まったのですが、母は自分たちが悪いとは考えていませんので、心からの謝罪ではなかったようです。
その後間もなくして、姉妹が嫁に行きました。私は彼女の結婚式の時でさえニートでした。姉妹にも本当に申し訳ないことをしていると思います。
家族にニートが居るということがどれほど恥ずかしいことか、、私は張本人ですから、家族のほんとうの気持ちは分からないのですが、想像に難くありません。。

 

私は父の件と姉妹の結婚を機に、勇気を振り絞って就職活動を始めました。
何件か不採用になったものの、体育館の清掃員(兼受け付け)として採用され、たった半年間でしたが働くことができました。
辛くも良い経験だったと今は思っています。そこを辞めてからは、また酷い下り坂を経験して現在に至る訳ですが。。

 

私が再びニートに戻ってしまった後、父親は定年退職を迎えました。
母も私もなんの労いの言葉もかけられませんでした。関係が修復できないまま長い年月が経ってしまいました。
いまだに私が何故働かないのか、父親にちゃんとした説明をして理解してもらう、ということができていません。母は説明することを望みません。
父は退職してからは主夫のような生活を送っていて、以前に比べるとまあまあ穏やかに暮らしています。お酒の量も減って、大暴れすることもグッと減りました。
それでも、私も母も父親の顔色には敏感で、衝突しないようになるべく楽しい会話だけをするよう心がけています。

 

私は父親に対しては、ほんとうに複雑な思いでいます。
私は父親との関係性が、自分が体調を崩したことやニートになってしまったこととなにか関係があるとは思っていません。
父には良いところもたくさんあります。物怖じしない性格で、とても社交的です。話し上手で知識も豊富、すぐに人と仲良くなれる所は羨ましいくらいです。

冗談で小突かれたことは何度もあるんですけど(ただし、かなり痛いです…。)、家族に対して本気で手をあげるようなことだけは決してしませんでした。
一家の大黒柱として定年まで同じ会社で勤めあげて、言葉通り私たちを養ってくれました。裕福ではなかったので、少し恥ずかしい思いもしたことがありますが(笑)

ただ、私にとって父は宇宙人みたいなもので、父にとってもきっと、私は宇宙人みたいに得体の知れない存在なのだと思います。

この先分かり合える日はきっと来ないと思います。父と娘とはそういうものなのかもしれませんが。
父を憎らしく思う気持ちと同時に、ほんとうに申し訳なく思う気持ち…両方とも本心です。
ほんとうは私が自立さえできれば良かっただけのことで、それは全く不徳の致すところなんですけど、それができていない以上いっそ他人であれば良かったのに、、と思います。
縁もゆかりもない赤の他人だったら、お互い平和でいられたかもしれないのに…なんてつい考えてしまうんですよね。。
(いい歳して幼稚な発言の数々、申し訳ありません…!)

  

そんな父と母は、もうじき70歳を迎えようとしています。

自分はいったいどうしたら良いのか、ほんとうは分かっているし答えは出ているんですよね。。

あとは一歩さえ踏み出すことができたら・・・

 

 


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